イタリアスタッフによる現地レポートをお届けします。
いざ、ライブ感が息づくミュージアム級の会場へ
ボローニャ・フェアグラウンドに近づくにつれ、時折響くエンジン音や高まる回転音、そして熱狂的な人々のざわめきが、この場の雰囲気を創り上げていました。ひんやりとした秋の空気は、モーターオイルと磨かれた金属の微かな香りを運んでおり、入口の上には横断幕がはためき、ヨーロッパ全土からの来訪者を「Auto e Moto d’Epoca 2025」に歓迎していました。
扉をくぐると、すぐに伝統と興奮の融合に圧倒されました。明るい照明の下で光を放つヴィンテージカー、彫刻のように並べられたオートバイ、そして会場に響き渡るコレクター、メカニック、そして熱狂的なファンたちの熱いエネルギー。それらが混ざり合い、強烈な印象を与えていたのです。.
歴史と職人技に溢れるホール巡り
中に入ると、展示はまるで生きているかのように感じられました。通路を進むごとに、異なる物語が明らかになってきます。ある一角には、レストアの専門家たちが細心の注意を払って作業を披露しており、真正さに痛いほどのこだわりを持ってレストアされた車両が展示されていました。その近くでは、スペアパーツ業者がNOSの品々を提供し、稀少な発見をコレクターたちは楽しんでいました。
公式クラブは、バナーや記念品を誇らしげに掲げ、来場者を各車両の背景にある文化の探求へと誘っていました。
中にはひっそりと古いアーカイブモデルを展示しているメーカーあり、自動車のアイデンティティの中心には常に遺産(ヘリテージ)があることを来場者に思い出させていました。


きらめく注目車両
自然と観客を集めていたモデルもありました。1970年代のイタリア製オートバイが並ぶ一角は、愛好家だけでなく一般の来場者からも感嘆の声を引き出していました。
近年では過小評価されがちだったヤングタイマーも注目を集めていました。オリジナルの特徴を残したままの保存状態が良いクーペやセダンを前に、そのスタイルと歴史的意義の両方で来場者は議論したり、品評したり、写真撮影を行っていました。
オートバイも、注目の的でした。職人技が光るイタリア製のバイクや、レース仕様のマシンは、時間が止まったかのような瞬間を作り出していたのです。来場者は足を止めて、細部に目を凝らし、物語を共有し、かつ情報を交換していました。

マシンの裏方に徹するプロフェッショナルたち
展示会は単に乗り物だけの場ではなく、人生をそれらに捧げる人々の場でもありました。
レストア職人たちは、オリジナルを保つための細心なプロセスを説明してくれ、コレクターたちは、彼らの自慢の車を入手するまでのヒストリーにまつわる逸話を分かち合っていました。また、老若男女を問わず、愛好家たちは、あらゆるエンジン、あらゆるパネル、あらゆるクロムのディテールに埋め込まれた職人技と物語に感嘆の声を上げていました。
交わされる一つ一つの握手、一つ一つのアドバイスの交換が、伝統と情熱の重みを帯びていたのです。

マーケットの動向
今回あるトレンドが明確になりました。コレクターは、単なる美しさよりも、信頼性と明確なヒストリーを求める傾向を強めています。オリジナル性を損なうことなく、実際に運転して楽しむことができる車両への需要が高まっていました。
市場は、象徴的なモデルに関しては安定していましたが、微妙な変化も見られます。アクセスしやすさと遺産(ヘリテージ)を兼ね備えたモデルへの関心が高まっており、ヒストリーを備えた車両の魅力が純粋な投資を超えたところにあることを示しています。

会場に満ち溢れる文化の佇まい
会場は熱気に満ちながらも教養に溢れていました。専門用語と個人的な物語が混ざり合う会話の中、エンジンが心地よい音を立て、笑い声が響き渡り、特に珍しい展示の後に時折拍手が起こりました。このモーターショーは、生きたミュージアムのようで、すべての車両、すべての展示、すべての来場者が自動車の歴史という物語を支えているのだと実感しました。
モーターバレーの遺産、地元の専門知識、そして国際的な情熱の間の相乗効果を肌で感じました。ボローニャは単に見本市を主催しているだけでなく、ヨーロッパの自動車史における文化的鼓動を象徴していたのです

会場を後にして
展示ホールを後にしても、リスペクトの念が強く残りました。「Auto e Modo d’Epoca 2025」は、単なる車の展示会ではなく、歴史、技巧、そしてコミュニティを巡る旅でした。磨き上げられた金属の輝きから、車を愛する情熱で結びついた見知らぬ人々の間の会話に至るまで、このモーターショーは、ヒストリックカーの世界が生きていて、栄えており、深く愛されていることを再確認させてくれたのです。
ボローニャは、愛好家とプロフェッショナルの双方にとっての中心地としての役割を確固たるものにし、歴史を保管することが単なる趣味ではなく、共有された、生きる経験であることを証明したのでした。